ご挨拶

初心忘れるべからず

私の「ひいおじいさん」は、「天野 幸太郎」という人です。彼は努力をして医師になり、明治38年8月に旧佐伯町津田に、天野医院を開設しました。

幸太郎さんは、何より「地域」のことを一番に考える人でした。明治の時代は、医師の下で何年か修行をすれば、みなしで「医師」の資格試験を受験することができたそうです。幸太郎さんは、地域の人達の健康を守る為には、医師を増やさなくてはならないと考え、優秀な若者を何人も自院に迎えて修行をさせました。今はもう亡くなりましたが、佐伯町の飛鳥先生、柴田先生、田村先生などがそうして医師になった方々だと聞いています。貧しく、医療費の払えない人達にも無償で診療を行い、自分の母親の葬儀を出すにも、お金の工面をしたといいます。幸太郎さんは実子が若くして亡くなったので、甥の「阿部 勲造」を天野医院の後継者として迎えました。勲造さんの長男が幸太郎さんの養子となり、それが私の父です。要するに、私の実の祖父は勲造さんで、戸籍上の祖父は幸太郎さんになります。ややこしいので、年代的に幸太郎さんを「ひいおじいさん」、勲造さんを「おじいさん」と呼んでいます。

勲造さんも、地域の医療を支えた人でした。馬に乗って往診に行き、自宅で何人もの子供達を取り上げました。(勲造さんは産婦人科医であった)93歳で亡くなるまで、現役の医師として働きました。

医師にならなかった父は、医師である母を嫁に迎え、天野医院を存続させました。母もまた、地域医療を実践した医師で、86歳となった現在も、地域の人達の健康を守り続けています。そして私達はこの病院を彼らから受け継いだのです。

代々の「天野」の人達は、地域に住む人達の健康を守る事に生涯を捧げてきました。これから激動する医療情勢の中で、私達も「地域のために・地域とともに」という理念を掲げ、地域の人達のための医療を提供し続けていきたいと思います。初代「天野 幸太郎」さんの「地域の人達のために!」というマインドを今こそ思い出して、これを忘れる事なく、歩いていきたいと思います。

医療法人ハートフル 理事長 天野 純子

地域のために 地域とともに

当院は平成5年、串戸に「アマノ病院」として開院しました。平成12年に廿日市市陽光台へ移転、平成20年に「アマノリハビリテーション病院」に名称を変更し現在に至っています。

開院当初から「地域のために 地域とともに」を基本理念としています。一人でも多くの患者さんが自立され、住み慣れた地域やご自宅に帰られて心豊かな生活が送れるよう、患者さんを中心として各々の専門スタッフが協力し、チーム医療にてサポートします。

また安心して最善のリハビリテーションを受けることができるよう現状に満足することなく、さらに進化、変革し、地域の方々に必要とされ選ばれる病院を目指していきます。

アマノリハビリテーション病院院長 小深田 義勝